悲しいことに兄王子はその策に乗ってしまい、王を幽閉してその座を奪い、弟までも殺そうと
しましたが、弟は辛くも
国外に逃れました。
王に代わって王国を牛耳った兄王子は、王から
財宝のありかを聞きだそうとしました。
ところが王はそんなものは隠していません。宝物はどこだと問われ、この国の人々のために
自分が作り上げた大きな貯水池を指差し、
「これが私の宝物だ。」と答えました。
これを聞いて怒り狂った兄王子は、例の司令官に命じて
王を殺してしまいます。

まんまと司令官の狙い通りになってしまったのです。
その後兄王子は正式に国王となりましたが、いくら工夫をしても父殺しという汚名は拭えず、人々の心をつかむことはできませんでした。
一方で弟の復讐をひどく恐れた若き王は、首都を
他の場所に移し、人を寄せ付けない、200mもの高さを持つ
断崖絶壁の頂上に、王宮を築いたのです。
もとは僧が修行を行うとても寂しい場所で、この工事には1万人の人手を駆り出し、
7年の月日を費やしたといいます。
今でこそ鉄製の階段が作られ、観光客も何とか登ることができますが、そのようなものもなかった
時代に、宮殿の建造に使用した大きな石をどうやって運び上げたのでしょう。どのように外界と
行き来していたのでしょう。今もよく分かっていません。
狂気の王はその後、
シギリヤ・ロックに築いたこの王宮で
11年間を過ごすことになります。
望んだ地位は得たものの、父を殺したことへの悔恨、なびかぬ民意への焦り、弟の報復に
対する恐れに苛まれ、強い風の吹き抜ける
地上200mの王宮で何を思っていたのでしょうか。
現在のシギリヤ・ロックには、血なまぐさい物語とは反して、魅力的な遺産が数多く残されています。
後編では、
カーシャパ王の最期と、そのあたりのことをお話ししましょう。