(はじめに: これはとても悲しく、残酷な物語ですが、たいへん重要な遺跡にまつわる話です。)
むかしむかし、今から1500年ほども前、父王を殺して王位を奪い、200mもの断崖絶壁の頂上に宮殿を
築いた若き王がいました。腹違いの弟からの復讐をひどく恐れた王は、天然の城塞とも呼べるこの岩山に
引きこもるようにして11年を過ごしました。
王の心配は現実となりました。弟が力を蓄え、外国から軍を率いて帰ってきたのです。
両軍は激しく戦い、この王も象に乗って出陣しました。しかし象が沼に足を取られ動けなくなり、自らの
喉をかき切って果てました。36歳であったと言われています。
せっかく築いた要塞にこもらず、自ら戦場に出たこと、最後には自分で身の始末をつけたことなどからして、
もしかすると既に死を覚悟していたか、心のどこかで望んでいたのかもしれません。
父の復讐を果たした弟ではありましたが、心が晴れるはずもありません。
せめてもの慰みに、盛大な葬儀を行い、兄を手厚く葬ると、この地を嫌ったのか、首都をもとの場所に
戻し、岩山の王宮は僧達に寄進してしまいました。
そしてそれから1400年ほども、イギリス植民地時代に望遠鏡で発見されるまで、この場所は忘れられて
いたのです。
このシギリヤロックという場所のことを、少しご紹介しましょう。
王宮はもうほとんど残っていませんが、頂上には貯水池も作られ、王のプールとも呼ばれました。
また、現在は前足の一部しか残っていませんが、宮殿に登る道の途中には、巨大な岩のライオンがあり、
昔は大きく口を開けた形でそびえていて、階段を登っていく人はライオンに飲み込まれていくようであったで
あろうと言われています。
他にも、水の庭園、鏡の回廊、コブラの岩など、見るべきところが沢山あります。
中でも有名なのが、岩壁に描かれた美女の絵で、父を殺した罪に苦しんだカーシャパ王が岩壁に
描かせたといいます。
父の魂を鎮めるためだったのか、自らの心を慰めるためだったのか、それは分かりませんが、1500年も
昔のものとは思えないほど美しい色彩で描かれ、もとは500体もあったと言われています。
現在は18体しか残っていませんが、今でもその美しさは損なわれず、見る人を魅了してくれます。
シギリヤという地名は、シン(ライオン)とギリヤ(のど)という
発音が訛ったものだと言われます。
獅子の子孫と呼ばれた民の中でも、狂気を帯びた若い王が、
自らの孤独な居城に巨大なライオンを建造したのは偶然
でしょうか。また、追い詰められた精神状態の中、美しい壁画や
鏡のような回廊を残したのはどのような理由からだったのでしょうか。
今はもう知ることはできませんが、シギリヤ・ロックへは、足の丈夫な
人なら1時間、ゆっくり進んでも2時間程度で登ることができます。
それなりの難所もありますが、ぜひ訪れてみていただきたい場所です。
まずは添乗日記で、その雰囲気だけでも味わってみてはいかがでしょう。