アフリカのローマ。旅のものがたり。|旅を楽しむ大人のための、海外旅行クチコミ情報サイト。株式会社いい旅。

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-旅のものがたり-
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(内容は歴史や伝説に基づいていますが、物語としてその一部をまとめたものです。)

                      -アフリカのローマ-
株式会社いい旅 ハカセ
 
むかしむかし、アフリカの北のはずれの、大西洋に近い場所に、ある遊牧民族が暮らしていました。
  
一時は鉄を使う人々に、奴隷として支配されますが、その後何とか支配から逃れることができました。
 
しかし、自由になったと思ったのも束の間、今度は北の国ローマに支配されることになりました。


それでも奴隷だった頃よりはずいぶんましになったようで、ローマから与えられたとはいえ、自分達のを持つことができました。
 
王は、ローマ文化を取り入れることに努め、鉄の人が築いた街を取り壊し、作り変えていきました。
 
は長い城壁で囲まれ、8つの門40以上の塔を持ち、最盛期には、2万人もの人が暮らしたそうです。
 
豊かな土地であったため、小麦やナツメヤシ、魚やオリーブオイルなどをどんどんローマへ送り、ますますこの都市は発展しました。
 

この都市には、水道橋で水が引かれて上下水道が整備されたくさんの浴場神殿などが作られ、ローマの文化が取り入れられていきました。 

もといた人たちは、もう奴隷ではありませんでしたが、北の国から来た人たちが大きな、飾りのついた家に暮らすのに対し、粘土でできた簡単な家に住んでおり、多少の差別は残っていました。
 
しかしその後、北の国の皇帝が、差別をなくす法令を出し、北の国の人と同じ権利が与えられました。

この皇帝をたたえて、この都市には大きな凱旋門が作られたそうです。


時が流れ、北の国がしだいに衰退していくと、北の国の人々は自分の国、ローマへ帰ってしまいました。
もとからいた人々、
ベルベル人は念願の自由を手にします。
 
でもローマ人がいないと、水道施設を維持することが出来ず、結局水を求めて都市を離れました。
さらに、その後起きた大地震で、都市は壊滅状態に陥ったそうです。
 

こうして、かつての繁栄がウソのように、この地は忘れられていきました。

北アフリカのローマとも言われた、古代都市ヴォルビリス
 
この都市の周辺にはある花が咲いており、ヴォルビリスという名は、ベルベル語でその
花のことを表すのだそうです。
 
かつての神殿や浴場、美しいモザイク画などが残されたこの遺跡は、1997年、世界文化遺産に指定されました。 
  
【ハカセの...   もうちょっと知りたい!】株式会社いい旅 ハカセ

大西洋に近い場所: 現在のモロッコです。
遊牧民族: ベルベル人です。古くから北アフリカに暮らしていましたが、
フェニキア人に支配され、奴隷化されていました。
 
鉄を使う人々: フェニキア人です。始めはこの地に金属と新しい果実を、
後に強行な支配をもたらしました。
 
北の国: ローマです。この時代、ローマとフェニキアは長く戦争状態(ポエニ戦争
にあり、ベルベル人はフェニキア人に
騎兵隊として使われていました。
 
: ユバ2世。父王ユバ1世は、ローマとの戦いで倒れ、ユバ2世は捕虜としてローマ
へ連れて行かれました。そこでローマ式の教育を受け、
ヴォルビリスを統治させるために
送り込まれたようです。
遺跡からは、ユバ2世のものと言われるブロンズ像が見つかっています。

ヴォルビリスです。西暦40年頃に建設され、ローマ帝国の西の端に位置しました。  
オリーブオイル: 今もヴォルビリス遺跡には、オリーブを絞った石臼が残されているそうです。

飾りのついた家: ローマ人の家には中庭と、モザイクタイルの装飾がありました。
北の国の皇帝: ローマのカラカラ帝です。
差別をなくす法令: アントニヌス勅令

大きな凱旋門カラカラ帝の凱旋門が作られたのは217年とされ、その100年ほど後、
3世紀に入るとローマの力は衰えていったようです。
 
大地震=4世紀後半頃と言われます。また、1755年のリスボン大地震でも被害を
受け、その前後、モロッコの古都、
メクネスの建設資材として大理石を持ち出されたりも
したようです。

◆オマケの話:
ローマの皇帝、カラカラ帝は、暴君とも、名君とも評される皇帝で、母の目前で弟を殺し、それを非難した市民を2万人も虐殺したそうです。一方で、市民のために大浴場を作ったり、兵士とともに徒歩で行軍したり、土木作業に参加するといった一面もあったようです。カラカラ帝は、ローマの属州であるヴォルビリスの民にローマの市民権を与えましたが、当時、ローマ市民権のないものには相続税の支払い義務がなかったので、税収を増やすことが目的であったとする説もあります。

周囲に咲いていた花は、キョウチクトウ(夾竹桃)と言い、葉が竹に似て、花が桃に似ていることからその名がついた植物です。
乾燥や大気汚染など、環境の悪化に強く、日本でも川崎に街路樹として植えられたり、広島で市の花とされているそうです。 

佐世保でも市の花だったそうですが、毒性があるため取り消されました。花、茎、根、あらゆる部分に毒があり、枝を追って箸に使用するだけで中毒を起こすそうで、バーベキューの串に使って死亡した例もあるとか..。


一方広島では、原爆の後でいち早く咲いた花で、復興のシンボルとして市の花となっています。原産はインドで、中国を経て、江戸時代の末期に日本に伝わりました。花言葉は、「用心、危険、油断しない」だそうです。

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