むかしむかし、アフリカの北のはずれの、大西洋に近い場所に、ある遊牧民族が暮らしていました。
一時は鉄を使う人々に、奴隷として支配されますが、その後何とか支配から逃れることができました。
しかし、自由になったと思ったのも束の間、今度は北の国、ローマに支配されることになりました。
それでも奴隷だった頃よりはずいぶんましになったようで、ローマから与えられたとはいえ、自分達の王を持つことができました。
王は、ローマ文化を取り入れることに努め、鉄の人が築いた街を取り壊し、作り変えていきました。
街は長い城壁で囲まれ、8つの門と40以上の塔を持ち、最盛期には、2万人もの人が暮らしたそうです。
豊かな土地であったため、小麦やナツメヤシ、魚やオリーブオイルなどをどんどんローマへ送り、ますますこの都市は発展しました。
この都市には、水道橋で水が引かれて上下水道が整備され、たくさんの浴場や神殿などが作られ、ローマの文化が取り入れられていきました。
もといた人たちは、もう奴隷ではありませんでしたが、北の国から来た人たちが大きな、飾りのついた家に暮らすのに対し、粘土でできた簡単な家に住んでおり、多少の差別は残っていました。
しかしその後、北の国の皇帝が、差別をなくす法令を出し、北の国の人と同じ権利が与えられました。
この皇帝をたたえて、この都市には大きな凱旋門が作られたそうです。
時が流れ、北の国がしだいに衰退していくと、北の国の人々は自分の国、ローマへ帰ってしまいました。
もとからいた人々、ベルベル人は念願の自由を手にします。
でもローマ人がいないと、水道施設を維持することが出来ず、結局水を求めて都市を離れました。
さらに、その後起きた大地震で、都市は壊滅状態に陥ったそうです。
こうして、かつての繁栄がウソのように、この地は忘れられていきました。
北アフリカのローマとも言われた、古代都市ヴォルビリス。
この都市の周辺にはある花が咲いており、ヴォルビリスという名は、ベルベル語でその
花のことを表すのだそうです。
かつての神殿や浴場、美しいモザイク画などが残されたこの遺跡は、1997年、世界文化遺産に指定されました。