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-旅のものがたり-
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(内容は歴史や伝説に基づいていますが、物語としてその一部をまとめたものです。)


                    -首だけになった王様-

(お読みの前に: ご安心ください。首を切られたわけではなく、2mほどもある首の話です。)

むかしむかし、今から2000年以上も前、現在のトルコ東部にあった
王国に、1人の王子が生まれました。


ギリシャ系とペルシャ系の両親を持つその子は成長し、やがて父の跡を継いで、王となりました。
まだ17歳のときだったといわれています。


折りしも、まわりの国が領土を広げようと動き始めた、大変難しい時期でした。


新しく王となった彼はさんざん悩んだ末、自分の国だけの力では生き残れないと考えました。

そして、ちょうどその頃この地方まで遠征してきた、大変
大きくて強い国と同盟を結びました。
そのかいあって、攻めて来る他の国々から、何とか自分の国を守り抜くことができたのです。



この王様は、
高さ2134
mの山の頂上に自らの墓を作りました。

山の頂上に、岩のかけらや砂利で人口の山が作られました。
直径150m、高さ50mほどの大きさがあります。
そしてその山(墳墓)の中には
墓室が作られ、周囲には巨大な神々
自らの像が作られました。

100kmほども離れたところから大きな石を持ってこさせ、2千mを越える山の頂上まで運び上げて、神々の像と並べて自らの像をつくったのですから、当時の王の権力はとても大きなものでした。



では、この王の死後は、どうなったのでしょう。

実は100年間ほどに渡り、先の強国の都合によってこの王国は国の権利を奪われたり与えられたりしました。そして、残念ながらついに国が支配されてしまい、王国の歴史には終止符が打たれたのでした。




像はほとんど台座に座った形の座像で、本来の高さは8~9m程度だったと思われます。
本来、というのは、残念ながら現在の姿はもとの姿ではなく、全ての像の
頭部は胴体を離れ、
足元の地面に落ちてしまっているのです。


その原因は地震であると言われていますが、実は別の意見もあります。

先の強国、
ローマ帝国がこの王国を支配した際に、像の頭部も壊していったのではないかというのです。
像の頭部の鼻の部分が、ことごとく壊れているため、そのように考える人がいるそうです。

またローマ軍は、この場所の財宝や、豊富にあった材木などをを奪っていったとされています。
そのためなのかどうかは不明ですが、現在は木の1本も生えていません。



とにかく像の頭は体から落ちて、長い間転がっていたのですが、その後立てられ、地面から首がニョキニョキ生えているように見えていました。そして
最近になってもう一度整理がなされ、それぞれの胴体の前に並べられました。


この
ネムルト山は、現在世界遺産に登録されており、トルコの人々は、世界7不思議に続く、8番目の不思議とも呼んでいます。

墳墓の神像は、ギリシャ的な顔の造形と、ペルシャ的な服装・髪型の双方の特徴を備えています。これは、王自らがギリシャとペルシャの血統を持つことにも関係しているのかもしれません。


苦肉の策で国を守った
コンマゲネ王国の王、アンティオコス1世

石像の背には、「余、アンティオコスは、自らの栄光と神々の栄光を記念し、これを建立す。」とあるそうです。

自尊心が強く、自らを神格化するためにこのような墳墓を築いたのではないかとも推測されていますが、本当は
どのような気持ちだったのでしょうか。


事実は不明ですが、王はこの墓所に今も眠っているとされています。そして少なくともこの地を訪れれば、アンティオコス1世の像には会うことができます。

残念ながら事情により、首と胴は泣き別れになってしまいましたが、その分近くでお顔を拝見することができるはずです。

墓所は東側と西側に別れ、東側の方が整然としています。現在は東側で日の出、西側で日の入りの時刻に観光客が訪れ、陽の光を浴びて表情を変える像の様子を楽しんでいます。


この地を訪れ、2000年前の王の心境に想いを馳せてみてはいかがでしょう(とても寒いのでご注意を)。


→この世界遺産、ネムルート山は、添乗日記でも紹介しています。 
 
【ハカセの...   もうちょっと知りたい!】株式会社いい旅 ハカセ
王国: コンマゲネ王国。 紀元72年、ローマの属州とされ終焉。国王アンティオコス4世が72歳だったとされる。
1人の王子: アンティオコス1世、紀元前69年(17歳)に即位しました(紀元前86年-紀元前38年、享年52歳)。
とても大きくて強い国: 古代ローマのことです。
高さ2134mの山: ネムルート山(ネムルト・ダー)。本来は神々の通り道とされた、聖なる山でした。 
墓室: あると推測され、何度か発掘されていますが、砂利に埋もれ、見つかってはいません。
神々や自らの像: アンティオコス1世本人の像、王国の守護神テュケ(女神)、ギリシア神話の神ゼウスアポロンヘラクレスの5体。その両側を2対の獅子とワシの像が守っています。像にはオルムズト(ゼウス)、ミトラ(アポロン)といったように、ペルシアの神々の名前が刻まれており、この墳墓は、ギリシアとオリエントの文化が融合したヘレニズム文化の代表作と言われています。また、余談ですが、アンティオコス1世はゾロアスター教を心奉していたとされており、ゾロアスター教の光明神、アフラ・マズダはゼウスと同一視されることもあります。
頭部: 頭部だけでも2mほどあり、ペルシャ風の帽子をかぶった像は、それだけ高くなっています。
直径150m、高さ50m: 直径152m、高さ49m。もとはもっと高く、建物もあったようです。
最近になって: 2004年のことです。以前のように、落ちていた場所にあった方が良かったという人もいるようです。いずれにせよ、本来の座像として修復しようとまでは考えなかったようですね。
(現代の)世界7不思議: 中国、万里の長城。インド、タージ・マハル。イタリア・ローマのコロッセオ。ヨルダンの古代都市遺跡・ペトラ。ブラジル・リオのコルコバードのキリスト像。ペルーのマチュピチュ。メキシコの遺跡、チチェン・イッツァ 
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