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旅順 二〇三高地の塔
爾霊山(にれいさん)と書かれた塔は、乃木将軍が203高地にかけて名づけたもので、爾(汝)の霊が眠る山という意味です。この地で戦死した人の供養のために建てられました。
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旅順 二〇三高地
ロシア軍のキャノン砲(模型)
観光用に置かれたものです。
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旅順 水師営会見所
日露戦争の際、乃木将軍とステッセル将軍が会見を行った場所ですが、当時のものではなく、観光用に建て直されたもの。
スタッフがいて、日本語で説明をしてくれます。
会見が行われた時は、向かって左がロシア、右が日本の控え室だったそうで、右には当時の写真が展示され、左には会見の様子が際限されています。置かれているテーブルは、戦時中手術台として使われていたものだそうです。
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旅順
昼食の中華料理水師営隣のレストラン。
観光客向けで、日本人の口にも合い、味はおいしい。
トウモロコシの粉でできた薄い皮にもやし炒めと甘辛い味噌、白髪ネギを乗せ、巻いて食べる料理がご好評でした。
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旅順
280ミリ榴砲弾の弾。重さは270キロあります。
この砲弾を使っても、東鶏冠山の保塁は崩せなかったと言われています。しかし、砲撃の結果、東鶏冠山の会議室を崩し、コントラチェンコ将軍が亡くなり、終戦のきっかけとなったそうです。
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旅順 203高地にて
砲弾型のゴミ箱 右が燃えるゴミ、左が燃えないゴミです。
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旅順
帝政ロシア時代に作られた旅順駅です。
今でも大連などの街までを結び、地元の人たちの交通手段として利用されています。
また、軍港のすぐ近くにあるため、海路と陸路の中継点として便利なようです。
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旅順 白玉山
リフトに乗って、白玉山の頂上へ。
頂上には、日露戦争の日本人戦死者供養のために、乃木将軍と東郷大将によって66.8mの塔が建てられました。
5分ほどで山頂に着きます。
遠足で来ていた海軍は走って登っていましたが、何人かの偉い人はリフトを利用していたようです。
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望台砲台
山頂から旅順港を見下ろす。先ほど昼食の時に降った大雨で霧が晴れ、旅順港を一望することができました。
100年前、この地を勝ち取った乃木将軍たちはどんな思いでこの景色を眺めたのでしょう。
写真中央の海の部分が、東郷平八郎が塞ごうとした旅順港口。幅は91mしかないが、結局塞ぐことはできませんでした。
「坂の上の雲」に出てくる、広瀬武夫少佐が戦死した場所でもあります。
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大連
大連のヤマトホテル。ここの迎賓館では、昔田中角栄と周恩来が残留孤児の件で会見を開きました。
その迎賓室のシャンデリアは水晶でできているが、第二次世界大戦で当時のものが失われたため作り直されたもの。
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大連
スウィッシュホテル。労働公園側の部屋を手配することができましたので、朝昼は公園の景色、夜は夜景が望めました。
ホテルのスタッフは英語が話せ、日本語の話せるスタッフも何人かいて、日本食レストランもあります。
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朝は、ホテルの向かいにある労働公園に散歩に行きました。
たくさんの人が朝早くから集まってスポーツをしており、私たちも現地の人に混ざって太極拳をしたり、体操をして体を動かしました。
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大連
左の建物がスウィッシュホテルです。
車は、赤信号でも右折OK(中国では車は右側通行)で、どんどん曲がって来るので、横断歩道が青でも気をつけて渡らなければなりません。
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大連
正岡子規の句 「行く春の酒をたまはる 陣屋哉」
昔、子規が訪れた地ということで、現地の人が後から建てたそうです。
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大連の昼食から
中国東北地方名物の餃子です。
この日はいろいろな種類の餃子が登場し、蒸し、焼き、水餃子をお召し上がりいただきました。
中国には調理方法、具財の違いで、200種類以上もの餃子があるそうです。
写真の焼き餃子は、「羽根」 が見事でした。
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大連
旧ロシア人街の様子。
メインストリートには観光客向けのお土産屋が並びますが、裏の通りの方は中国人が住んでいるそうです。マトリョーシカや毛の帽子が売られていました。
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大連
海鮮乾物市場。現地の人向け。
日本に留学していたというスタッフがいたので、スムーズに買い物ができました。
ホタテの貝柱が、300gで148元(2000円ほど)、100gから買えました。
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大連
ヒラメの刺身。新鮮で大ぶりな刺身はとてもおいしくて、あっという間になくなってしまいました。
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機内食の朝食
これかおかゆでした。
味はまあ、そこそこというか、普通の機内食でした。
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